ハイチ こんにちは!

ハイチ こんにちは!
著者 イ·ハンソル
初版 2023年8月17日 3刷 2023年12月20日
夢も生活の場も失ったハイチの人々に
愛と希望を植え付けたイ·ハンソルの物語

이 한솔 LEE HAN SOL イ·ハンソル

明日がない人のようにむやみに暮らした著者は、ある牧師が差し出した温かい手を握って立ち上がって新しい道を歩み始めた。グッドニュース神学校を卒業した後、2012年にハイチに行って、2010年に発生した大震災で生活の場も夢も失ったハイチの人たちに愛と願いを植える仕事を始めた。濡れ衣を着せられて刑務所に行ったり、食べ物がなくなったり、武装ギャングの弾の洗礼を受けたり、ギャングに拉致されて14日間抑留されて祈ったりしたが、いつも彼と一緒に手をつないで立ち上がることができた。そして自分の手を握って仕事して、たくさんのハイチの人たちを見た。彼は「ハイチに着いてから、私がなぜそんなに倒れなければならなかったのか知ることができた。それは数え切れないほど倒れたハイチ人たちの手を握るためだった」と言う。彼はハイチで学校を始めて子供たちを教育し、「私も大きくなって宣教師のような人になりたいです」という子供たちの話を聞いた時、一番幸せだったという。

はじめに

私がなぜそんなに倒れなければならなかったのか知ることができた。数え切れないほど倒れたハイチ人たちの手を握るためだった。

たくさん転んだ。ある日はもう起きる力さえないように感じられた。どうせまた起きてもまた転ぶのが自明だったからだ。私は人生を諦めたまま、明日がない人のように暮らした。切なくこの時間が経った。夢も希望もない日々の繰り返しだった。そんな私に誰かが手を差し伸べてくれた。初めて感じる温かさだった。その手を握って私は立ち上がり、新しい道を歩み始めた。

2012年、中南米にあるハイチで宣教を始めた。ハイチで私は相変わらずたくさん転んだ。悔しく濡れ衣を着せられて刑務所に行って祈ったり、食べ物がなくなって足を踏み鳴らしたりした。地方に行ってきて、武装ギャングの襲撃を受けて数十発の弾丸を撃たれたり、ギャング団に拉致されて14日間抑留されたりした。

私はよく転んだ。でも私はもう1人じゃなかった。私のそばには、私に手を差し伸べるたくさんの人たちがいた。恥ずかしいことに、私は長い間その手を見なかった。多分、無視したのは彼らじゃなくて私だったのかもしれない。私はその手を握ってまた立ち上がったし、下手だけど道を歩き始めた。諦めなければならない理由は相変わらず多かった。でも、私はもう諦められなかった。そしてさらにびっくりしたのは、私の手を握って立ち上がる大勢の人々が生まれ始めたことだ。

私たちはハイチで学校を始め、子供たちを教育した。

私が一番幸せだった瞬間は、「宣教師さん、私も大きくなったら宣教師のような人になりたいです」という子供たちの話を聞く時だった。自分はダメだと言って壁に頭を叩いて苦しんでいた子、お母さんの前で手首を何度も切った子、不思議なことに私はその子たちが憎くなかった。むしろ、後日、その子供たちが母親の懐に抱かれたままありがとうと話す日が来るのが描かれた。

それは私の心ではなかった。神様は数多くのハイチ人の手を握らせようと、まず私を泥沼に陥らせた。ハイチに着いてからこそ、私は自分がどうしてそんなに倒れなければならなかったのか知ることができた。

それは数え切れないほど転んだ他の人たちの手を掴むためだった。

真っ先に私に手を差し伸べてくださった私の師匠、パク・オクス牧師、私のせいで誰よりも心労を多くなさったのに、いつも私のために祈り、私の心強い灯台になってくださった両親、そして多くの困難の中でもいつも私に慰めと力になり、私を再び起こしてくれた愛する妻、何よりもこの全ての人たちを私にくださった神様にすべての感謝と栄光を帰します。

目次

01彷徨
現実逃避 11
父の人生 13
明日のない人生 16
黒く覆われた学生時代 17
ハワイ 21
初めての職場 24
海外ボランティア活動 26
忘れられない鶏肉 30

02  新しいスタートラインで
帰国発表会 40
神学校入学 43
相変わらず所定の位置で 47
私の人生を変えた言葉 51
ハイチで 55

03. 変化する人たち
ハイチの子供の夢 63
変化する人たち 65
初めての旅行 66
洞窟で出会った人.  69
牧師の話.   71
ずっと続いた驚くべき働き   74
また別の実 75

04  監獄
iPad.  85
監獄  90
ふと.  93
こんな神様なら  95
もう一つの奇跡  98
一つであること  102

05解けなさそうだった問題
一番大きな宿題 107
理解できない数字  109
あなたがこの人を呼んだんですか?  111
ハイチの人たちのために. 114
神様が準備した.  118

06テモテ、そしてコンサート
こんにちはオカイ  127
傷でいっぱいのハイチの子供たち  129
ハイチを覆った暗雲  132
続けられるか  134
今暗くても大丈夫. 137
怖かった夜  138
祈りながら耐えてみよう. 140
夢を植えるドリーム代案学校. 142
希望コンサート  145

07 降りそそぐ弾丸の中で
「トゥフディーノ」との初めての出会い. 155
ふたたびトゥフディーノ 159 
暗い影  161
無法地帯. 165
命を守った福音  168
脱出. 170
パニック障害  173
アトランタ. 176
世界で一番幸せな妻.  179

08  また地震 
またハイチに 188
夜空に輝く星のようだった証 112
そんなことが  198
新しい巣 203
忘れられない一人  205
こんにちはオカイ 212

09 新しいところへ
こんにちは、ウィルソン 219
こんにちは、タバ. 223
あなたたちは世の光だから. 225
良い町. 227
夢か  231
晴天のへきれき. 233

10 拉致  
タバ教会記念礼拝.  242
拉致. 246  
朝が来なさそうだった夜  250
信じられないこと. 254
完全に変わった温度 257
続く救いの働き 259
私はまた来ます 263
奇跡のような日常 266
つまらない私を変化させた主よ 268

1章 

01彷徨

現実逃避 

中学校の入学式の日、体にぴったり合う制服を素敵に着て、精一杯ウキウキした多くの友達の隙間から、私はある先輩が卒業して学校に寄贈した制服のおさがりを着て、片方が破れた1万ウォンのスニーカーを履いていた。

他の友達は入学を祝う両親の声援の中で新しい始まりをいっぱい期待する姿だったけど、うちの両親はやっぱり来なかったし、私はそんな自分の姿がみすぼらしく感じられた。

入学式を終えてふきげんなまま家に帰ってきて、かばんを片方にぽつんと投げて、お父さんにせがんだ。

お父さん、私ももう中学生なのにメーカーのスニーカーを一つだけ買ってください!

小さな教会の牧師である父には、十万ウォンもするメーカーの靴を買ってあげるのが無理だという事実をよく知っていたけど、貧乏に暮らすのが嫌で、そうでも苦しい思いを解放したかった。

ハンソル!みんな、うちの教会の兄弟姉妹たちも子供たちにメジャーシューズを買ってあげられず、献身的に教会に仕えるのに、どうやって牧師の子が高い靴を履いて通うのか?」

メーカーの靴を履けないのが教会のせいではなかったけど、子供より聖徒たちをもっと考えているお父さんを見ながら「牧師の息子じゃなかったら、教会じゃなかったら高い服も着て、いい靴も履いて通い、悪びれずに生きていたのに、教会のせいで私がやりたいようにできないんだ。」と思い、父を教会に奪われたみたいで、心の中の恨みの矢が教会に向かった。

ある日学校で学費減免申請書を提出した。先生が教室で学費減免を申し込んだ学生のリストを見て、私の名前を呼んだ。

イ・ハンソル、あなたも申し込んだね?君のお父さんは牧師だって?お父さんが牧師なら自動車も何台かあるし、お金も多いはずなのに、何で学費減免申請書を出すの?」

瞬間みんな私だけを見つめているようだった。私は顔がニンジンのように赤くなった。早朝から夜遅くまで福音を伝える父、私たちに必要なものがあれば誰にも表現せずに家族を部屋に呼んで祈る父、神様だけを見つめて生きて、そうやって生きなければならないと教えた父の後ろ姿を見て、私は生きてきた。ところが、一瞬にして私がお金持ちの牧師の息子になっていた。心を尽くして福音を伝えながら生きてるけど、誰も分かってくれない道を歩く父が恨めしかった。福音のために一生をささげた父の人生が価値あるように感じられるのではなく、人々の冷たい視線が私を鋭くして苦しめた。

私は父が牧師なのが嫌だった。正確に言うと、牧師を見つめる人たちの歪んだ視線が嫌だった。父のせいではないことを知っていたが、私の恨みは父と教会に向かった。台風に流されたように恨む気持ちに手に負えなく巻き込まれて制御できなかった。私は早々にひねくれ始めた。信仰生活はもちろん勉強すらしたくなかった。友達と付き合ってお酒とタバコをやり始めて、ゲームにハマって過ごした。給食費で払うべきお金をゲームするのに使い切って、お昼は飢えるのが常だった。友達は酒とタバコとゲームに疲れた私をペインと呼んだけど、私は、そうしてでも現実を逃避したかった。

父の人生

父は牧師になる前に教師を夢見て、師範大学を卒業した後、教団に立った。お金を稼ぐためや名声を得るためではなかった。ひどく貧しい子供時代を過ごした父は、死の峠によく会った。溺れて、家が崩れて死にそうになったこともあったし、練炭ガスの中毒で生まれて初めて病院に運ばれて、翌日目が覚めたこともあった。死と近く接した父は死後を思い浮かべて、人生の意味と真理を探した。

父が教師になるという夢を持ったのも、意味とやりがいを感じられる人生を生きたかったからだった。生徒たちに人生の道しるべになってくれる教師の道が父の心をひきつけ、人文学が好きだった父は国語教師になった。でも、しばらくして力を失った。父が思っていたのと違って、教職が真の師匠の道とはかけ離れた面も多かったからだ。父は正しく生きなければならないことについて苦悩して、哲学や宗教の書籍をたくさん読んだ。そうやって過ごしていたある日、教会に通っていた父は福音を聞いて救われた。その日から父はすっかり別人になった。

父は人々に福音を伝えたがっていた。学校でも機会があったら福音を伝えた。生徒たちが授業を受けてから「先生、初恋の話をしてください」と言ったら、父はイエス様から受けた愛を話した。「怖い話をしてください」と言ったら、罪があれば地獄に行くから罪の赦しを受けるべきだと言われた。学部の集まりが「先生が授業中になぜ宗教の話をして子供たちを怖がらせるの?抗議したりもしたが、父にとって魂の問題よりもっと大事なことはなかった。補充授業の教材の枠を福音が込められた聖書の聖句でいっぱいにしたりもした。自然に多くの困難を経験したが、父は揺れず、多くの教師と生徒たちが救くわれた。1人、1人救われるのが、父にはこれ以上ない幸福だった。結局、父は教鞭を降ろして神学校に入った。

おじいさんはお父さんに向かって期待をたくさん持っていた。家が貧しくて、父は幼い頃から学校から帰ってきたら遅くまで畑の仕事を手伝わなければならなかったけど、そうやって働きながらも勉強が上手だった。おじいさんはそんな息子を力が届くところまで後押ししてくれた。父が教師になった時、祖父は困難な中でも栄えた職場を持った息子を内心誇りに思っていた。ところで、息子が教職を辞めて神学校に入学するなんて•••。おじいさんは極端に反対して、血縁をやめようというほど大変だった。でも父は意思を曲げなかった。

父は神学校を卒業して福音伝道者の道を歩み始めた。父が教師だった時も私たちが余裕を持って暮らしてはいなかったけど、牧会をしながら貧乏に暮らさなければならなかった。父は毎日福音を伝えて、祈った。私が「お父さん、給食代を払わなければなりません」と言うと、 父は家族を 呼んで 祈ろうって 言ってた。参考書がないって言っても、父は必ず家族を呼び集めて祈った。父は祈れば神様が必ず助けてくれると信じていたけど、私は数万ウォンのせいで家族が毎回祈らなければならない人生が嫌だった。

福音が嫌いではなかった。ところが、福音のためだけに生きる父を理解できなかった。「福音を伝えるのもいいけど、このように苦労して生きながらまで福音を伝えなければならないのか?」心の中で疑問が離れなかった。

「困難がなく、時には家族と外食もしたり、散歩もしながら福音を伝えるのはダメ?」私は学校で学費減免申請書を出すたびにすごく恥ずかしかったけど、父は私たちが福音のせいでそんな困難を経験することができて感謝すると言ってた。そんな父親を私は理解できなかった。

明日のない人生

小学生までは特に問題がなかった私が中学生になって急にひねくれていくと、父は慌てた。まだ幼い私を座らせておいて、福音のための人生がどれだけ貴重で価値があるか何度も話した。だけど、私は耳元で流した。

当時父が牧会していた教会は、みすぼらしい建物の一階にあって、礼拝堂の裏にある小さな部屋で私たち4人家族が住んでいた。幸い小部屋がついていて私は部屋を別に使った。室内にトイレもなく、早く外に出て階段の下にあるトイレまで降りなければならなかった。寒い冬はトイレに行くのがどれだけ嫌だったか・・・。

礼拝堂でうちの家族が住んでいたから、教会の聖徒たちが私が彷徨うのをすぐに知った。私はみんなの心配事だった。両親を含めて聖徒たちが私のために祈った。父は彷徨う私を捕まえようと突きつけたり、怒ったりして、時には鞭を打ったりした。私は父の気持ちを理解するより「牧師の息子だから怒られる」という考えに反抗心だけもっと激しくなった。家出し始めたし、路上で彷徨う時間が増えていった。そういう時は学校も何日か行かなかった。友達の目にも廃人のように見えるほど、私は明日がないかのように人生を諦めた人のように生きた。

ある日、みんな眠った静かな夜に、私は静かに起きて外に出た。友達が酒瓶の入ったビニール袋を持って私を待っていた。遊び場で友達とジンタン酒を飲みながら一晩中遊んで、夜明けの礼拝が始まる前に家に帰ってきた。ところが、私の部屋に明かりがついていた。

「私が明かりをつけっぱなしにして出て行ったのかな?」と、何も考えずに布団に横になったんだけど、お父さんが入ってきた。私が出て行ったことを知って、一晩中待っていたのだ。でも酔っ払った私は嘔吐して気がつかなかった。父は昏酔状態の私を叱ることすらできなかった。

・・・・続く

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