ハイチ こんにちは!8章 また地震−2

ハイチ こんにちは!
著者 イ·ハンソル  
初版2023年8月17日3刷2023年12月20日
夢も生活の場も失ったハイチの人々に愛と希望を植え付けたイ·ハンソルの物語

上)毎週水曜日に井戸会社の職員たちと聖書の勉強を持って、ほとんど救われた。
下)井水会社の職員たちと(真ん中の年配が会社の社長)

信じられない

地震が発生すると、一番必要なものの1つが水だ。ハイチは首都施設がないところが多い。ほとんどの人が井戸から水を汲みながら使うんだけど、機械じゃなくて手で掘った井戸だから、井戸が深くないし、水がきれいじゃない。そして井戸が家ごとにあるわけじゃなくて、水を汲んでくるにはしばらく歩かなければならない場合も多い。そんな地震でその井戸さえ毀損されて、水を手に入れるのが本当に難しかった。しかし、神様が私たちに必要なものを前もって準備しておいた。

数年前、オカイにある井戸会社「Water for life ウォーター・フォー・ライフ」の社長と聖書の勉強をしながら、その方が救われた。社長は真理に喉が渇いて数多くの教会に通ったって言ってた。ところが、自分が社長だから、ほとんどの教会で自分の魂のために真剣に引き起こすのではなく、人々の前で自分を立てて物質的な助けを受けようとしているのを見ながら、牧師たちに嫌気がさして、ある瞬間から教会に行かなくなったと言った。しかし、心の一方で相変わらず魂に対する喉の渇きがあったのに、私と聖書の勉強をして救われたのだ。

「神様が宣教師様を私に送ってくれました!いよいよ真の神様のしもべに出会いました!」 
彼はとても感激した。

「宣教師様、私が毎週水曜日に職員たちと聖書の勉強をしていました。私たちは指導者がいませんが、もしかして宣教師様が毎週水曜日に私たちのために聖書の勉強を導いてもらえますか?」

御言葉を聞きたがる人たちが集まっているというのに、拒む理由がなかった。その後、私は毎週水曜日にその会社に行って職員たちに福音を伝えた。社長はいつも一番前で話を聞いて、聖書を一節一節読んで説明するたびに、盲目が目覚めるように驚いて感心した。聖書の勉強会で救われる人が増え始めた。

「宣教師様、週に1回は少ないようですが、毎週月曜日にも聖書の勉強をしたらどうですか?」

人々が救われると言うことを聞くのを慕った。私は毎週2回、その会社に訪ねて聖書の勉強を導いた。そうやって1年が経つと、職員たちが私たちの教会の聖徒たちのように感じられるほど心から近づき、ほとんどの職員たちが救われる働きが起きた。オカイにうちの教会が2か所にあるようだった。社長は会社に重要な席があるたびに私を招待して御言葉を伝えてほしいと言って、お祈りを頼んだ。

その兄弟が私たちの礼拝堂の建物が崩れて、私が教会の家族と臨時避難所で過ごしているという知らせを聞いて、直接給水車を運転して避難所にやってきた。私を見てどんなに嬉しかったか。

「宣教師様、こんなに劣悪なところで過ごすのに不便なことがどれだけ多いでしょうか?私が他のことは知らなくても、水は最優先的に供給してあげるから、水の心配はしないでね!」

兄弟はきれいな水を、私たちが過ごしている避難所の全ての人たちが使えるほど持ってきてくれた。それだけじゃなかった。うちの聖徒たちが泊まっている空き地や街を尋ねた後、そこにも給水車を見せてくれた。地震の後は水が手に入りにくくて、自然にシャワーや洗濯ができないと悪臭が振動して、腸チフスやコレラのような伝染病が回り始める。その被害が急速に広がるが、私たちは水を優先的に供給されて被害を防ぐことができた。おかげで一緒に過ごしていた住民たちも私たちと一緒にいるのが好きだった。厳しい環境の中だったけど、

神様が私たちが経験する困難を知っていて、前もってその方を救って助けてくれたことが本当に感謝した。神様の手は細かくした。

よりによってその時期が大統領暗殺直後なので、違法な資金が流入したり流出したりするのを恐れて、銀行からの現金引き出しに制限を設けた。

人々が地震で被った被害を復旧して、いろんな団体で救援活動をするためにはたくさんのお金が必要だったのに、銀行からの引き出し制限まで置いておくと、銀行は人々に足を踏み入れる暇がなかった。1日に見つけるお金がたったの200ドルだった。

当時、私たちにも韓国をはじめ、いろんな国から救援後援金を送ってくださった。スローガンは時間が命だった。首都から来る道路が詰まって物資が円滑に調達できなくて、木の値段やテントの値段が一日一日跳ね上がるから、一時でも早く急がなければならなかった。でも、銀行に何日か行っても見つけるお金が少なくて、スローガンを適時にできなくて、少なからず戸惑った。

その頃、1年前に持った希望コンサートに参加して、福音を聞いたUniBank銀行の支店長が、私がオカイに来たという知らせを聞いて連絡をくれた。1年前にこの方は希望コンサートに大きく感動して個人的に私を訪ねてきて、福音を聞いて救われた。自分が聖書に興味があって聖書の勉強を続けたいと言って、毎週土曜日に自分の家で家族や近所の人たちを招待して一緒に聖書の勉強をしてくれるかと聞いた。私は妻と一緒に土曜日ごとに彼の家に訪ねて福音を伝えた。彼の妻も救われて私たちの教会に出て、私たちはその夫婦とだいぶ近づいた。その兄弟が私に電話をくれた。

「宣教師様、銀行に用事があれば何も心配しないで電話してください。私がお手伝いします。」

兄弟の電話は干ばつに恵みの雨のようだった。銀行に着いて足踏み場の隙なく多くの人の間で電話したら、兄弟が警備員を連れて直接降りてきて、私を支店長室に案内した。私が救援活動をしなきゃいけないんだけど、引き出し制限のせいでどうしたらいいか分からないって言おう、

「宣教師様、何も心配しないでください。私がお手伝いできます。」と言いながら、私たちが必要なだけ引き出せるようにしてくれた。そのお金で救援活動を迅速にできた。被害を受けた27の家庭が臨時で過ごせるテント屋を建ててあげることができた。

・・・続く

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