イエスキリストの形状 聖幕
「聖幕」著者 グッドニュースカンナム教会牧師 パクオクス

初版 2015年7月15日
3刷 2020年2月25日
サブタイトル
聖幕を理解したらイエス様が見える
まえがき
私が子供の頃、学校で遠足に行くといつも宝探しをした。その時間になると、私は宝物を一つでも探そうと切実な気持ちで木の隙間を漁ったり、石を動かしてみたりした。ところが他の人たちは二枚、三枚もよく探すけど、私は宝探しが苦手でいつも寂しい気持ちで家に帰ったりした。先生たちがこの宝物をどこに隠しているのか、それをちょっと知りたくても全く分からなかった。
イエス・キリストの中に入ってから、私は聖書の言葉の中に多くの宝物が隠されているという事実を知った。だから私は聖書の中にある宝物、つまりイエス様を発見するために聖書を読んだ。驚くべきことに、学校の先生たちは私が簡単に見つけられないところにだけ宝物を隠しておいたのに、神は聖書の中に本当に多くの祝福された宝物を簡単に見つけられるように隠しておいた。これが私が神を愛するようになった原因の一つかもしれないという気がする。
特にマタイ福音書に出てくる系譜の中に隠されたイエス・キリストの貴重な世界や旧約の節期や祭祀の中に隠された神の尊い宝物を発見するたびにこの上なく幸せだった。その中でも聖幕の話の中でイエス・キリストの神性と人となり、イエスのしもべと王となるなどを発見するたびに感激で感嘆する時が一、二回ではなかった。今も出エジプト記25章から始まる聖幕に関する言葉を読んでみると、前にまだ気づかなかった貴重な部分を悟るようになり、また前に悟ったことを改めて考えてみて、ああ、本当に驚きだ!という気持ちがよく湧く。
もし人間がエデンの園で善悪を知る木の実を摘んで食べず、生命の木の実を摘んで食べても目が開いたはずだ。人間が生命の木の実を摘んで食べたら、善悪を知る木の実を摘んで食べた後のように邪悪で弱い自分たちの姿を見たのではなく、神の神霊的な世界を見たはずだ。それによって人間の心が神とずっと親しくなっただろうし、虚しい肉体に縛られた人生を生きなかっただろうと確信する。
不幸にもアダムは善悪の果実を食べて神霊的な目は暗くなり、肉体の目だけが明るくなったが、生命の木であるイエス・キリストによって再び神霊的な世界に目を開かせた神に感謝を捧げる。足りないが主が示してくださった通り、聖幕の中に現れた神の秘密を上考してみたが、読者たちがこの本だけ読まずに聖書に出てくる聖幕に関する言葉に接して、より深いイエス・キリストを発見することを願う。この本に込められた聖幕の不思議な秘密が読者たちにイエスをより深く悟るのに役立てられることを願って、虚しい肉体に属する人生から抜け出してイエスと親しくなり、イエス様と同じ心、同じ考えで残りの人生を生きるようになることを願う。
グッドニュースカンナム教会牧師
パクオクス