ハイチ、こんにちは!1章 終わり
ハイチ、こんにちは!
イ·ハンソル著
夢も生活の場も失ったハイチの人々に
愛と希望を植え付けたイ·ハンソルの物語
1章 終わり
初めての職場
大学も卒業しないし、資格もない私たちが寝食を提供する職を探すのは簡単ではなかった。ところが、その工場では何も見ずに私たちを受け入れてくれた。エアコンを作る工場で、回るコンベイヤーベルトの上にある部品にネジを締めるだけでいい単純なことだった。
一日中立って仕事してたら足が痛かったけど、慣れるのが難しくなかった。
小さな宿で初めて会う人たちと一緒に過ごした。毎日工場で働いて、夕方に帰ってきてお酒を一杯飲みながら、私たちはすぐに仲良くなった。出勤しては、 ネジを 組み立てることが すぐに 手が慣れて、 気にしなくても 上手に やり遂げることができた。自然にいろんな考えが上がってきた。ふと両親のことも思い出して、私の将来についての心配も訪れた。でも忘れようと努力した。
一ヶ月経って初めての給料をもらった。150万ウォンだった。そんなに多くはなかったけど、自分の手でやっとお金を稼いだという事実に気持ちがすごく良かった。ビジョンのある職場でもないし、私に夢があるわけでもなかったけど、最初の給料で気分が盛り上がって、友達と一晩中お祝いしながらお酒を飲んだ。お金がなくて見物もできなかった高いお酒も飲んだ。そうだね、人生って大したことある?お金を稼いでやりたいことをやればいいんだよ!'
お酒をどれだけ飲んだのか、次の日頭が割れそうに痛かった。それから財布を確認してみると、1日で給料の大半を使ってしまったことが分かった。虚脱した。またベルトを絞めて生活しなければならなかった。後にはタバコ代さえなくてお金を借りなければならなかった。また給料をもらったけど、その間借りたお金を返済したら残るのがあまりなかった。私が望んだ人生はそうじゃなかった。ボランみたいに成功して、堂々とした素敵な姿で父に帰りたかった。現実はそうじゃなかった。私はお金を管理することも知らなかった。
単純な作業を繰り返すと考えが多くなった。一緒に働く人たちが見えてきた。宿を一緒に使う同年代の人たちは大部分前科者だった。彼らはお酒を飲むたびに、自分たちがどれだけ売れているのか、どれだけすごい人なのか自慢した。でもしばらくしたら、大したことないことで喧嘩をして、また鉄格子の中に入った。お金がなくて私にまで手を広げながらも、彼らは自分たちがどれだけすごい人なのか自慢した。
プライドを捨てられず、刑務所にまた入りながらも唾を弾きながら自慢する彼らから、ふと私の姿が見えた。私は自分が好きなように自由に生きていると言いながらも、心の片側で不安が消えなかった。そして毎日彼らと付き合うと、私も事件にいくらでも巻き込まれることができた。彼らは犯した罪を武勇伝ともいうかのように楽しく騒いでいたが、私はその話を聞くのが苦痛になり始めた。
お酒を飲む時は笑って騒いで楽しそうだったけど、心にある不安を消すことができなかった。そうやって生きていくと、私の人生も泥沼の中に落ち込みそうだった。友達に初めて私の本音を持ち出した。
ヨンア、私たちがここで働いて何ヶ月も経ったのに、私のポケットに1万ウォンの一枚もない。この工場がビジョンがあるわけでもないし、私はちょっと心配になる。毎日お酒を飲んで喧嘩したり、自慢したりする人たちと付き合うのももう楽しくない。ドブに落ちたみたい」。何気ないふりをして過ごしたけど、私の中はそうじゃなかった。友達は自分も同じ感情を感じていると言ってた。その時から私たちは突破口を探した。
海外ボランティア活動
ある日友達が話した。
「私たち海外ボランティア活動に行ってこようか?」
韓国には誘惑が多すぎるから、とても難しい国に行って過ごしてみると、私の心にも何か変化が起きるんじゃないかと思った。教会に1年間の海外ボランティアプログラムがあったけど、私は首をぴょろと振った。そのプログラムに参加するにはパク・オクス牧師に会わなければならないけど、牧師が青少年行事には参加しないようにすでに釘を打ったからだ。でも、私たちみたいな暴れん坊たちを受け入れてくれる海外奉仕活動団体はなさそうだった。
友達が言った。
「牧師に会いに行こう。」
「おい、牧師が私たちにそんなに怒ったのに許してくれる?どうせダメだよ」
「方法があって、牧師さんを訪ねて間違えたと申し上げるのよ。その時牧師さんを「おじいさん」と呼べばいい。考えてみて。おじいさんは子供たちには厳しいけど、孫たちには寛容じゃない。私たちが牧師さんと呼んだら叱られるだろうけど、おじいさんと呼んだら牧師さんが私たちが孫たちだということを思い出して許してくれるだろう」
呆れた妙策みたいだった。私たちは仕事を辞めて牧師に会いに行った。その時、牧師は仁川で集会を指導していた。午前の集会を終えて、午後に使役者たちと集まりがあったんだけど、友達と私はドアを開けて入って真ん中に行ってひざまずいた。
「おじいさん、間違えました!」
牧師さんが怒鳴りつけた。
「こいつら、教会を無視して神様を無視しながら言葉さえそうすれば私が騙されると思う?今すぐ出て行け!」
牧師の怒鳴りに私は「そうだよね。牧師が私たちを受け入れてくれるはずがない。」と思った。友達とぐずぐず起きて出かけようと思うんだけど、牧師の声が聞こえた。
「ひとこと言いたいことがあったら言ってみろ。」
私たちはまたひざまずいて座った。友達はこれまで自分がどれだけ愚かに暮らしていたかを話しながら間違えたと話した。
「こいつらの言葉だけ増えたね。私が一度騙されてまた騙されると思う?今すぐ出て行け!」
牧師さんはやっぱり受け入れてくれなかった。また席を立って出ようと思うんだけど、牧師の声がまた聞こえた。
ひとこと言いたいことがあったら言ってみろ。」
またひざまずいて、今度は私が話した。
「おじいさん、間違えました。私が本当に教会を無視して神様を無視して暮らしました。もうそんな風に暮らしたくないです」牧師の激しい叱責が落ちた。
「イ・ハンソルがこいつ、言葉ばかり賑やかにして。私がまた騙されると思ってる、こいつ、今すぐ出て行け!」
私たちはまた起きた。出ようと思うんだけど、背中の後ろからもう一度牧師の声が聞こえた。
「ひとこと言いたいことがあったらまた言ってみろ。」
私たちは再びひざまずいて座ったけど、準備した話が底をついて、何を言ったらいいのか分からなかった。友達が言った。
「おじいさん!おじいさん!私がもう一度事故したら、その時は漢江から飛び降りるます!」
とんでもない話だったけど、思わず口が開いた。
「おじいさん!おじいさん!私も一緒に飛び降ります!」
「何?どうしたの?漢江から飛び降りるって?死ぬ勇気があれば心を変えないと。漢江から飛び降りるの?飛び降りる勇気もない奴らが何を飛び降りるの?出て行け!!」
もう話す言葉もなかった。起きて出かけようとする私たちに牧師がまたおっしゃった。
「ひとこと言いたいことがあったらまた言ってみろ。」
これ以上何を言ったらいいのか分からなかった。ところが、牧師さんが急に部屋に付いて入ってくるように言われた。そして黒板に絵を描きながら聖書の話をしてくださった。恥ずかしいけど、私はあの日牧師さんがやってくれたこの話が思い出せない。ところが、一つは心にはっきり刻まれた。「牧師さんが私たちを追い出そうとしてなかったんだね・・・」まるで焼きを入れるように、牧師は私たちとしばらく戦ってくださったし、受け入れてくれた。
その後、私は必要な課程を履修した後、2006年にアフリカのカメルーンに1年間海外ボランティアに行った。ついに私の人生が少しでも変わるんじゃないかな?海外ボランティアは私にとって最後の糸のような希望だった。
カメルーンに着いて飛行機から降りたら息が詰まるほどの熱さが私を殴った。韓国と文化も、言語も、環境も全く違うカメルーンで過ごすのが簡単ではなかった。何よりも私はタバコをやめられずにいた。アフリカにボランティア活動をしに来てまでタバコを探す私の姿が情けなく感じられた。言葉が通じなくて息苦しいし、食べ物が口に合わなくて大変で、この事でストレスを受ける時、タバコの思いが切実だった。
韓国から持って行った服をカバンに入れて、伝道する時間に市場に行って売った。1万ウォンで3枚のワイシャツだったけど、カメルーンでは高級ワイシャツだった。服はあっという間に売れたし、私はもらったお金でタバコを買って片隅に行って静かに吸った。町に外国人って数少ないから、海外からボランティアに来た学生がタバコを吸うという話が町にすぐ広まった。恥ずかしくて彼らに伝導もできなかった。
忘れられない鶏肉
そうやって過ごして「ウムプ」という田舎の村に行って、エドウィン牧師の家で2ヶ月間生活した。その家には一緒に住む子供たちが多かった。牧師の子供は2人で、貧しい親戚の子供たちまで牧師が面倒を見ていた。多くの子供たちの世話をするほど都合がいいわけでもなかった。1日に2食をやっと食べて、朝はパン1切れが全部だった。
子供たちはいつもお腹がすいたと呟いた。ジャングルに入って罠を仕掛けることもしたけど、何日も捕まる獣もいなかった。
土曜日になると、私たちは斧を持って木を切りに通った。木を縛る紐がなくて、ヤシの木の葉で木片を包んだ後、頭に引いて家に帰った。その木を打ってご飯を炊いた。生きるのがとても難しかった。ある時、エドウィン牧師に「こんなに難しく暮らしているのに、どうして親戚の子供たちまで連れて暮らすのか?」と聞いた。牧師は自分の親戚たちはもっと難しく生きるって言ってた。牧師はいつも笑った。お金もないし、人生が良くなりそうもないのに、牧師は子供たちをもらって育てて、人々に分けてあげられることをありがたく思った。私はそれを理解できなかった。
数日後、私がマラリアにかかった。熱が出て悪寒がひどくて、気がつくのが大変だった。そんなに痛いのは生まれて初めてだった。韓国のお金千ウォンならマラリア薬が買えたけど、牧師さんも私も小銭一つなかった。部屋に横たわっているのに限りなく悲しかった。「こうやって死ぬんだ・・・。」お金何銭もなくて家族もいない遠い他国で死ぬというのが悲しくて、暗くばかり過ごした私の人生が哀れに感じられた。
どこかで美味しい匂いが部屋の門に乗って入ってきた。肉だった。え、ドウィン牧師の家で一ヶ月以上過ごしたけど、お肉を食べたことはなかった。
外から子供たちの声が聞こえた。
「うわ、お父さん!お父さん!今日お肉食べますか?私にもくださるんですよね?」牧師は子供たちを静かにさせた。
これはイ・ハンソル宣教師にあげようとするものだ。お前らじゃないよ」
家で飼っていた一匹だけの鶏を捕まえたのだ。マラリアにかかったら、薬を飲んで食べ物をよく食べれば治るという。でも、薬を買うお金がなくて、何日も起きられず、死境をさまよう私のために鶏を捕まえたのだ。私が聞こうと思って子供たちを静かにさせる牧師の声が聞こえた。「私が何だって•••」しばらくして、牧師さんが静かに門を開けて入ってきて鶏肉を降ろした。
「ハンソル、これ食べたらすぐ治るよ。」
牧師さんは相変わらず笑っていた。牧師が部屋から出て、子供たちが肉を食べたいと言って牧師に駄々をこねる声が聞こえた。私はその肉をどうしても食べられなかった。どれだけ苦労して生きるかよくわかるから、そしてそれが牧師の家族が食べられる唯一の肉だという事実を知るから、肉に手を出せなかった。しばらくして牧師がまた部屋に入ってきた。私が手も出さなかったのを見た牧師が、なぜ食べないのかと、食欲がないのかと聞いた。
「牧師さん、これ一つしかない鶏じゃないですか。私がこれをどうやって食べますか•••牧師さんも、子供たちも長い間お肉を食べられなかったじゃないですか」牧師がにっこりと笑って言った。
「ハンソル、あなたは外国人なのに福音を伝えにここに来たじゃないか。あなたは神様が私たちに送ってくれたプレゼントだよ。私は神様に肉をあげたんだよ。あなたが食べて早く治るのが私にとっては大きな喜びだよ。薬を買ってあげられなくてごめんね。私が持っているのは鶏一匹だけだけど、これなら立ち上がれるよ。早く食べて。」
牧師は私が鶏を食べるまで立ち上がらなかった。私はまだその日食べた鶏が忘れられない。それはエドウィン牧師の心だった。
私は少しずつ回復して、牧師は私が快方に向かっているのを見てすごくよろこんだ。彼は私の姿と関係なく私を受け入れてくれた。神様を信じる人の前で私は恥ずかしかった。貧しいアフリカの人たちを無視していた私、そこで不平不満がいっぱいになったまま過ごした過去の日々が思い浮かんだ。私は韓国でお腹が空かないように暮らしながらも恨みがいっぱいだったけど、エドウィン牧師は持ってないのに心に感謝がいっぱいだった。
牧師と一緒に過ごした2ヶ月は、私が初めて感じた世界だった。その日以降、私は牧師に心で従ったし、年月が経った今もお互い連絡するほど、私たちは近い仲になった。
希望が見えるようだった。「ついに私も変わるんだね・・・」大変だったけど、条件なく多くの愛を受けたムフーで過ごした時間、その生活を終わらせて変化した人生を期待して首都ヤウンデに戻った。だけど感謝した気持ちもしばらく、時間が経つと元の姿に戻った。
一日一日過ごすのが大変だったし、ついに一緒に過ごしていた現地の人たちと殴り合いをするほどめちゃくちゃに暮らした。辛くて吸わなかったタバコをまた探した。また深い泥沼に陥ったみたいだった。
「そうだね、私が何の変化なの?私はやっぱりダメ。ウムプでは生きるのが難しすぎてちょっと良かったけど、韓国に帰ったらどうせ元に戻るよ」
ちょっと変わるようだったけど、すぐに元に戻った私を見ながら、私は一生どん底の人生を生きるしかない運命のようだった。
「韓国に帰ったら両親が私が変わったと期待するよね?でも、変わらない私を見ると、またがっかりするだろうね?」
さらに希望は見えなかった。絶望だけいっぱい抱いて、私は韓国に戻った。