ハイチ こんにちは! 9章 新しいところへ−1

ハイチ こんにちは!
著者 イ·ハンソル  
初版2023年8月17日3刷2023年12月20日
夢も生活の場も失ったハイチの人々に愛と希望を植え付けたイ·ハンソルの物語

ウォルセン伝道師家族

さよなら ウォルセン

2022年1月、私の家族はハイチの首都のある地域であるタバレ Tabarreという都市に教会を開拓した。情けのこもったオカイを離れなければならないということに名残惜しさもあったけど、神様がオカイを愛して泣いているのを見ると心は軽かった。オカイで私たちと一緒に使役していたウォルセン伝道師夫婦に教会とドリーム代替学校を任せることにした。

ウォルセンが私たちに初めて会ったのは2012年だった。当時50人余りの生徒が救われて毎日教会に来た。あまりにも変わった生徒が多かったから、言葉がなくて静かな性格のウォルセンは私の記憶の中にいなかった。彼が私の記憶の中に入ってきたのは、無銭伝道旅行に行く日だった。初めて青年、学生たちと一緒に無銭伝道旅行に行こうと告知した時、ウォルセンも志願した。そして伝道旅行に行ってきた後、ウォルセンがした証はまだ私の心の中に残っている。

「 救われる前の私の人生はとても不幸でした。食べ物がなくてたくさん飢えていたし、高校も卒業できなかったんです」

ウォルセンの痩せた体が彼の痛みを代弁してくれるようだった。

「いっそのこと死ぬ方がましだと思いました。でも いざ 死のうとしたら 怖くなりました。悲惨に 一日一日を 生きて、 何の 望みも ありませんでした。そうやって過ごして、たまたまこの教会に来て、救われました。その時から私の心から新しい心が育ち始めました。イエス様の血で私のすべての罪を洗って天国に行けるという事実が私に大きな望みをもたらしてくれました。いつの間にか伝道している私を見ました。私はそういう人じゃなかったです。福音がもたらす喜びが本当に大きかったです」

彼の顔に悲しみはなかった。

「特に今回の無銭伝道旅行を通じて確信できました。神様が福音を伝えることを喜ぶということを。そして私のような人を通しても福音を伝えることを望んでいるということを。」

ウォルセンは神学校に入学し、伝道者になった。彼の顔にはもう憂いが見つからなかった。彼は私たちと一緒にオカイで使役を始めた。ウォルセンは私たちがどこへ行っても一緒だった。一番しっかりした同役者であり兄弟だった。ドリーム代案学校の子供たちを心で回って見たし、彼を通して多くの人が福音を聞いて変化した。

3年後、ウォルセンはパルロン姉妹と結婚して家庭を築いた。兄弟姉妹たちは自分の結婚式であるかのようにウォルセン夫婦を惜しみなく祝ってあげた。結婚して愛しい子供が生まれたけど体が弱かった。子供はしょっちゅう消えていくように息を吐いた。病院に行って検査してみたら、心臓が奇形だと言ってた。オカイには心臓を治療できる病院がなくて、首都にある大きな病院に移さなければならなかった。ところが、その病院には救急車がなくて、子供に酸素呼吸器をかぶせた後、他の病院に急遽救急車を要請した。遅ればせながら救急車が到着した時には、子供がすでに亡くなった後だった。子供が息を止めるとパルロンは倒れた。ウォルセンの大きな目からは、太い涙がとめどなく流れ落ちた。私の妻は子供を受け入れて悲しく泣いた。子供を亡くした親の悲しみは手に負えないものだった。

葬儀にはパルロンの家族、首都教会の家族が一緒だった。

悲しみに浸っている子供のお母さんを教会の家族たちが慰めた。若くして子供を失った母親、事故で不具になった兄弟、地震で一瞬で全てを失った姉妹などがパルロンを慰めた。彼らは私が想像する大変な時間を歩いてきた人たちだった。死にたいほど痛い時間を過ごした聖徒たちがパルロンを全心で慰めながら抱きしめてくれた。

遠い地方から娘の痛みを慰めに来たパルロンの父と家族に私は福音を伝え、パルロンの父が救われた。葬儀を終えた後、パルロンが口を開いた。

「難しい時に一緒にしてくれる教会に会ってとても感謝しています。一緒に泣いて抱きしめてくれてありがとう。子供は去ったけど、お父さんが救われるようにプレゼントをあげて行きました。私はもうこれ以上悲しまないつもりです。子供たちに福音を伝えたいです」

神様は私だけでなく、ウォルセン夫妻も絶望の中から救い出した。その日以降、パルロンは日曜学校に心を注いだ。私たちがドリーム代案学校を始めた時、パルロンは誰よりも力強く子供たちに福音を伝え、多くの子供たちがパルロンを通じて救われた。

翌年、神様はウォルセン夫妻に双子を許された。その知らせは私たちに2倍の喜びを与えてくれた。不思議なことに、双子たちは私と同じ日に生まれた。私は必ず私の子供たちが生まれたように嬉しかった。神様がそうやってウォルセン夫妻を慰めた。

「宣教師様、子供たちの名前をつけてください。後日、この子たちが自分の名前をつけてくれた人が誰なのかと聞かれたら、私は宣教師様に対してこの物語をしてあげたいです。」

私は子供たちの名前を韓国語で作ってあげた。「知恵」そして「恵み」。ウォルセン夫妻は子供たちの韓国の名前が本当に好きだった。プレゼントみたいだった子供たちに会ったあの日が忘れられない。

私たちがオカイを離れると、ウォルセン夫妻が残って私たちに続いて使役することにした。神様がウォルセン夫妻を導いているのをはっきり見たから、オカイを去りながら心が軽かった。今まで神様が彼らを導いたように、これからも導いてくださることが明らかだったからだ。今もウォルセン夫妻の顔を思い出すと、自ずと口元に笑顔になる。

こんにちは タバ

タバは首都から少し郊外に位置する都市だ。たくさんの人が住んでいるけど、聖徒たちのゆかり者はいなかった。新しい都市として、また最初から始めなければならなかった。でも、神様がそこでも驚くべきことを準備して置いたと思うと胸がドキドキした。特に韓国に行ってコロナ事態が起きて2年以上会えなかった子供たちがハイチに戻るようになって、私はもっとワクワクした。子供たちは私がどこへ行ってもいつも付きまとい、お父さんが福音を伝えるのを見たかったし、誇りに思っていた。愛する妻と今は結構大きな子供たちと一緒に福音を伝える考えが私を眠れなくさせた。

空っぽの家を改装して、人々が訪ねてこられるように礼拝堂を飾るのは疲れなかった。人がいないので、物を買うことからペイントまで全部直接やらなければならなかったけど、後日そこに人々が集まって神様を賛美することを思うと、時間が経つのを知らずに昼も夜も働いた。妻と子供たちも一緒だった。久しぶりに団結したうちの家族は笑い声が絶えなかった。韓国語を上手に話せる子供たちはお父さんを手伝うと言って仕事を手伝った。

礼拝堂の整理がある程度になった後。教会の開拓集会を準備した。

庭が広い家庭に教会を飾ったから、住民たちはそこが教会だとは知らなかった。チラシを作って人々に伝道しに出かけたんだけど、人々の反応が暗かった。

「ここがどんな町か知っていますか?この都市にはギャングがいます。人々はみんなこの町を危険な場所だと言っています。ここで教会したら誰も行けません」

住民たちはみんなそこが危険な町だと言った。わかったことは、1年前くらいにギャングが町の奥に定着したって言ってた。ハイチには数十のギャングがあるが、あるギャングは町の住民には危害を加えない。ところが、ここのギャングは近所の住民でも外地人でも問わず拉致して脅迫して質が悪いことで有名だった。

ある日、子供たちが家の中だけにいるのが息苦しくて、ちょっと歩こうと子供たちと道を出たんだけど、村人たちが走ってきた。

「宣教師様、ここはあなたのような外国人が歩き回るには危険な場所です。早く家に帰ってください!」

私たちは家の外に出られなかった。チラシをもらって好意的な話をする人は一人もいなかった。前が真っ暗だった。住民たちはドアをちゃんと開けてくれなかったし、お互いを極度に警戒した。ハイチで10年間しばらく暮らしたけど、そんな町は初めてだった。「伝道できなかったら集会をどうする?集会をしたら人々が来るかな?」人々がしたこの話が私の心をもっと暗くした。

あなたたちは世の光だから

ふと「ところで神様も私たちが来たここにギャングがいるのを知らなかったのかな?」という気がした。私はそこがどんな町なのか分からなかったけど、神様がその事実を知らないまま私たちを来させたはずがなかった。「神様は確かにここが危険な場所か知っていたはずだし、ここにギャングがいるか知っていただろうし、いくらでも私たちを来られないように防ぐこともできたのに・・・」

考えがそこまで及ぶと御言葉が思い浮かんだ。あなたがたは世の光である。イエスは私たちを光だと言った。光はいつ必要なの?明るい時じゃなくて暗い時に必要だ。主は私の人生が一番暗い時に私に光になって、私が転んで倒れている時にも光になって私を起こした。周りの人がする話はすっかり暗かった。その時になって、私は私たちが席を間違えたのではなく、そこがあまりにも暗いところだから、主が私たちをそこに導いてくださったことを知った。薄暗い部屋に明かりがついたように新しい気持ちが起き始めた。

「そうだね、真っ暗な時に光が必要なように、ここが暗くて絶望的なところだから、私たちが福音を伝えなければならないんだね。神様が私たちをここに送ったんだね。福音を伝えれば、この町が光で明るくなるだろう。人々の心に望みが生まれ、喜びが起きるだろう」

緊張感がいっぱいの町に福音が伝われば変わるという気持ちになった。必ず集会をしなければならなかった。1人が来ても、私たちはそこで福音を伝えなければならなかった。それが神様の御心だから。

教会にはうちの家族5人をはじめ、ベナ伝道師夫妻、オカイから来た神学生2人、そしてドリーム代案学校を卒業した男子生徒まで全部で10人がいた。その人員で礼拝堂の工事をしながら集会を準備するには人が足りなかった。ハイチには仕事が多くないから遊ぶ人が多い。私たちは近所の青年たちを呼んだ。

「私たちが来週ここで集会をしようと思っているのですが、チラシを配ってくれる人がいません。もしかしてチラシを配ってもらえますか?」

私たちを全く知らない青年たちが快く一緒にやると言ってチラシを配った。彼らは家ごとに訪問し、学校を歩き回って人々を招待した。ある青年は教会に来てペンキ塗りや庭の整理を手伝ったりした。不器用だったけど、神様が少しずつ道を開いていくのが見えた。

ハイチには飢えている人が多い。1日3食を食べる人は見づらいくらいだ。普通2食を食べて、それさえも食べられない人が多い。私たちは集会の時に人々にもてなす食事も用意した。家の刺身の時だけでも温かいご飯を一食あげたかった。でも、食事の準備までしようと思ったら、人手がすごく足りなかった。買い物もしなきゃいけないし、食材の手もやらなきゃいけなかった。100人分の食べ物を準備するのが仕事が並大抵のことではなかった。近所のおばさんたちに助けを求めた。

そうしよう、おばさんたちは家にある鍋や釜を持って教会に来た。近所の事情をよく知っているおばさんたちは、買い物から食材の手入れまで喜んで手伝ってくれた。そんな経験は初めてだった。私たちができなくて助けを求めたのに、神様が人々の心を動かしてくださった。

・・・続く

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