ハイチ こんにちは!8章 また地震−終わり
ハイチ こんにちは!
著者 イ·ハンソル
初版2023年8月17日3刷2023年12月20日
夢も生活の場も失ったハイチの人々に愛と希望を植え付けたイ·ハンソルの物語
上/聖徒たちの家の復旧を終えた後、神様から与えられた良い家の庭に礼拝堂を作った。
下)新しく作った礼拝堂で教会の聖徒たちと一緒に。
新しい巣
いつまで臨時避難所で過ごすことはできなかった。兄弟姉妹たちの家を修理しながら、新しい教会も探さなければならなかった。しかし、ほとんどの家が割れたり、ひびが入ったり、教会として使える広い庭を持つ家を探すのは簡単ではなかった。臨時避難所には礼拝を捧げられるかなり広い空間があったが、位置が遠くて車のない聖徒たちは礼拝をしに来るのは簡単ではなかった。聖徒たちは私たちが教会の復旧より自分たちの家を先に復旧すると、みんな教会として使う家を探すために都市を移すように通った。
「宣教師様、家が一つ出ました!一緒に見に行きましょう!」
ある兄弟が走ってきて言った。行ってみたら、うちの教会があったところの向かいの路地だった。都市中央だから聖徒たちが来るのにいいし、塀だけ何箇所か崩れただけで、建物には金も一つも行かない丈夫に建てて家だった。庭は以前の教会より2倍は広かった。十分に200人は集まることができる庭だった。しかも家賃まで安いから、すべてが完璧だった。
ただ、庭の真ん中に竿のようなヤシの木がぽかぽかと場所をとっているのが欠点だった。主人に庭に礼拝堂を作ろうとするんだけど、木を切ってもいいかと聞いたら、断固として断った。刺繍はハイチの国旗にも刻まれている木で、ハイチの人々は大部分のヤシの木を神聖視する。その木は長い間家と一緒に育ってきたヤシの木だった。
「他のものは勝手にやってもいいですが、このヤシの木だけはだめです。我が家を守ってくれる大切な木です」
残念だったけど道がなかった。そんないい場所にそれなりの庭がある家をその値段で求めるのは不可能に近いことだった。木を真ん中に置いたまま礼拝堂を作ればいいと思った。そうやって大家さんと合意した後、翌日契約書を書くためにまた訪ねて行った。
職場から退勤した主人が鍵を持ってきて、大門を開けて家に入ったらびっくりした。誰かが昨夜ヤシの木を切ってしまったのだ。
木の底には斧の跡がいっぱいで、ヤシの木は力なく片側に倒れていた。
「今までこの家に泥棒が入ったことが一度もなかったのに・・・。」
主人は虚しかった。昨夜、誰かが崩れた塀に入ってきて、ヤシの木を切ったのだ。私は理解できなかった。主人はヤシの上部分を調べた。ヤシの木の上に食べられる部位があるんだけど、それがすごく高く売れるって言ってた。ところが、泥棒は木だけ切っておいただけで、何も触らなかった。
「今までこんなことがなかったのに、あなたたちがここに礼拝堂を作るのを神様が喜んでいるようですね。思いっきり使ってください」
私たちは見ながらも信じられなかった。後で兄弟たちと一緒に下棟を取り除いたんだけど、延々と4時間斧をしなければならないほど固かった。
私たちは斧を叩きながらも神様が理解できない方法で助けてくれることに感謝した。ヤシの木に付いた高価な実で久しぶりに教会の家族たちと栄養を取ったし、大きな胴は切って炭で使った。私たちは小さな部分でも神様が助けてくれるのを見ることができた。
忘れられない1人
礼拝堂の工事を本格的に始めた。長い間使わなかった家だから、手を加えなければならないところが多かった。ペンキを塗って庭にコンクリートを打とうとするんだけど、トラブルができた。地震以降、オカイには電気が全くなかった。工事をするには機械を使わなければならないことが多くて、発電機を使わなければならなかった。ところが、ギャングたちが道を塞いで、首都からオカイまで油が供給されなかった。ガソリン代が一日一日高騰した。ある日はガソリンスタンドで8時間待ったけど、ガソリンが手に入らなかったりもした。油がなければ資材を運ぶ車を動かせないし、発電機も使うこともできなかった。お金があるから油を買える状況じゃなかった。あちこち調べても油を手に入れる道が見えなかった。苦労して手に入れた家だったけど、工事をもう進めなかった。
その頃、韓国にあるある高校で生徒たちに講義をしてほしいと要請してきた。オンラインで講義するには電気とインターネットが必要だから、そういう場所を探さなければならなかった。しばらく歩き回ってみたら、あるホテルで明かりがきらめくのが見えた。ホテルと言っても韓国の旅館くらいにもならないところだけど、明かりが入るということは電気があるってことだった。ホテルに入って支配人に、ちょっとインターネットを使わなきゃいけないんだけど、ロビーの片側に座ってインターネットを使ってもいいかと聞いた。支配人は快く許してくれた。
電気の供給が不均一で、ロビーにある背中がうっすらとうっかりしたけど、その程度の場所を救えるのも幸運だった。嬉しい気持ちで生徒たちに1時間講義した後、支配人に感謝の挨拶をして出かけようと思うんだけど、誰かが私を呼んで立てた。
「どの国から来ましたか?ここにはどうしているんですか?」
好奇心を見せる彼に答えた。
「私は韓国から来た宣教師で、オカイで宣教しています。今回の地震で私たちの礼拝堂が崩れて聖徒たちの家が崩れて、現在救援活動及び礼拝堂の工事をしています。」
「では、今はどこで過ごしますか?」
外国人がほとんどいない都市だからか。彼の質問は続いた。
「臨時避難所で教会の家族たちと一緒に過ごしています。」
彼はびっくりした。
「いったい、外国人が臨時避難所でハイチの人たちと暮らしているそうですか?不便じゃないですか?」
大変だけど、神様がどうやって私たちを助けて守るのか話すと、彼が言った。
「私はこの都市の人ですが、あなたのようには生きられません。私たちの街のために働いていますが、私が手伝えることがあれば助けたいですね」
話を終えて、あるスタッフに油を持ってくるように言ったら、彼が油がいっぱいになった樽を持ってきた。私はびっくりした。ガソリンスタンドでも手に入らない貴重な油をくれるなんて・・・彼はぐるぐる笑った。
「宣教師さん、私はこの都市で事業を3つやっています。一つはこのホテルで、もう一つはレンタカー事業です。レンタカー事業をしていると、備蓄しておいた油があります。外国人宣教師が私たちの都市のために働いていますが、私が当然助けなければいけないじゃないですか?」
神様が準備しておいた人であることがわかった。
「社長、私は救護活動をしていますが、福音を伝える宣教師です。貴重な油をくださるのですが、社長にぜひ神様の話をしてあげたいです。」
彼は快く週末の夜にホテルに来るように言った。おかげで車にも、発電機にも油を充填できた。道がないように見えたけど、神様が私たちを細かく導いてくれた。その後も社長は油がなくなるたびに油を提供してくれた。おかげで私たちは時間通りに工事を終わらせることができた。
週末になってホテルに寄った。太陽はもう姿を消してからしばらくだった。社長は屋上テラスで私を待っていた。手にはビールがあって、顔には酔いが上がっていた。もうたくさん飲んだのか、あちこちに空のビールのキャンドルが見えた。瞬間、聖書に興味がないみたいで心配になったけど、「神様がこの方を通して私たちを助けてくれたのに、大胆に福音を伝えなきゃ」という気持ちになった。
私は聖書を開いて福音を伝え始めた。私の懸念と違って、社長は私が聖書の一節を読むたびに一つ一つ書きながら言葉を真剣に聞いた。1時間くらい経ったかな、「イエス様が私に代わって十字で遊んで行きましたね。その方が私のすべての罪を赦されましたね!」と言いながら社長が福音を受け入れた。夢みたいだった。
社長はやっと自分の話を持ち出した。
「私はこの街で一番大きな邸宅を持っています。事業も3つやってますし。うらやましい人生を生きてますよね。ところで、私は心の病気を持っています。お金が多いからギャングの標的になりましたね。私はこの街を抜け出したことがありません。不安感がいつも追いかけてるんですよ。私はお金をたくさん稼いだら幸せになると思いました。だから狂ったように仕事ばかりしましたね。ところが、何年か前に妻が私から去りました。私が家庭を振り返ることができなかったんです。一人しかいない娘はお母さんとカナダへ留学しました。その時からでした。私にパニック障害ができたのです」
彼は後悔しているようだった。
娘に狂ったように会いたかったのですが、パニック障害で飛行機に乗れませんでした。だから何年も娘に会えませんでした。その子は私にとってすべてだったんですよ。大きな家にぽつんと1人で取り残されました。夜が怖くて外品ですね。お酒を飲まないとまったく眠れません。毎日 ご飯、 気を失うほど お酒を 飲み始めました。酔っ払いのあごに不安が少しでも消えるみたいでしたよ」やっと彼がお酒を飲んでいる理由がわかった。
「いつからか家で寝るのも怖くなり始めました。寂しさが酷かったんですよ。結局、私は大きな家を置いてホテルの部屋で生活しています。人々は私に全部持っていながら、どうしてそんなに大変なのかと聞きました。誰も私を理解してくれる人がいませんでした。心の 病気は どんどん 深まって いきましたし。ところで、今日宣教師が私に一番貴重なプレゼントをくれました。それは空にある家でした。そして、このように壊れた私を愛してくださった主の愛を見つめさせられました。私は今日が忘れられないと思います。彼の声に生気が回った。
「宣教師さん、よろしければここで過ごすのはいかがですか?部屋を一つ用意いたします。見たところ、食事もちゃんとできないようですが、ここで私と一緒に食事もして、夕方には聖書の話を続けてもらえますか?」
突然、私はホテルで生活するようになった。終日工事して、大変な体をひきずってホテルに行くと、社長が温かい食べ物を用意しておいて、私を待っていた。毎日彼と聖書の勉強をして、顔に濃く染まっていた影が少しずつ晴れるのを見た。
救われたホテルの社長と
「宣教師さん、昨日は何年ぶりにお酒を飲まずに寝ました。お酒なしでぐっすり寝たのは本当に久しぶりです。神様が私の心に休みを与えてくれますね。この御言葉を娘にも伝えたいです」
彼は毎日聖書の勉強を終えたら、その日聞いた聖書の一節を娘に送った。ある日は娘が私の顔を見たいって言ってビデオ通話をしたりした。
「宣教師さん、私の父があんなに笑うのは本当に久しぶりです。うちのお父さんに福音を伝えてくれてありがとう。神様が彼を救うために私をそのホテルに導いてくださったことをはっきり感じることができた。その日以降、彼は会う人たちに伝道し始めた。
「宣教師さん、今日は私たちのホテルの支配人に福音を伝えてください。」
私は支配人に夕方ずっと福音を伝え、彼も救われた。
「社長が急にあまりにも違う人になって不思議でした。いったい、何のためにあんなに変わったのか気になったんだけど、主の愛がその方を変えたのでしたね」
私は他の職員たちにも福音を伝えたし、ホテルに勤務する大部分の人たちが救われる働きが起きた。ホテルの部屋に入って寝ようとベッドに横になったら言えないほど幸せだった。神様が私をそこに導いたという事実が心にこの上ない喜びを与えた。
ついに礼拝堂の工事を終えて、私はオカイから首都に行かなければならなかった。社長は「神様のしもべが行くのに、自分が空港まで送ってあげる」と言った。そして翌日の夜明けに自分の持っている車の中で一番いい車で私を空港まで連れて行ってくれた。
「宣教師さん、これからこの都市に来られることがあれば、いつでも私に連絡してください。このホテルは宣教師さんの家です」
さようならオカイ
3ヶ月間オカイで過ごした時間を思い出す。困難は至る所に潜んでいて、音もなく訪ねてきたが、そこに福音を伝えさせた方は神様だった。全てが神様の御心だった。漠然と見えたけど、足を踏み出した時、神様はあなたの御心をあなたが成し遂げていった。私はただ神様がどう働くかを見つめているところだった。聖徒たちを守る神様、私たちを助けてくださる神様を発見する瞬間ごとに全ての疲れが洗われていき、望みが心をいっぱいに満たした。何よりも、多くの人々に福音を伝えながら、彼らの心と人生を変える神様を生き生きと目撃することができた。
刑務所に入った時、私は深いどん底に陥ったようだったし、ギャング団の襲撃を受けた時にはすべてが終わったようだった。また立ち上がる力がなかった。ところが、神様はあなたのしもべを通して私を再び立てた。
ドリーム代案学校の子供たちも私と一緒に成長した。いつも幼く見ていた子供たちがオカイに地震が発生した時、救援活動に先頭に立って聖徒たちを助けながら福音を伝えた。「いっそのこと死んだ方がましだ」とその子たちは言った。その子たちと初めて会った時によく聞いた言葉だ。いつの間にか3年の歳月が経ったし、子供たちは相変わらず学生だったけど、また小さな宣教師たちだった。家族や友達に福音を伝えながら心を注いで私たちを助けてきた。私も宣教師のような人になりたいです。私が聞いた言葉
の中で一番忘れられない言葉だ。誰よりもめちゃくちゃで、めちゃくちゃに暮らしていた私を、神様はご自身の道具として使いたかった。子供たちもまた神様がご自身の道具として使うだろう。
「この子たちが10年後、20年後に毒麦が多いハイチの人たちに麦になった主を見つめさせる日が来るよね?」私よりもっとハイチとオカイを愛する主、そこの人々を細かく守って助けてくださる神様、その神様がオカイの聖徒たちとドリーム代案学校の子供たちを立派に導いてくださることを願う。さようなら、オカイ。
地震復旧活動をしながら、合間に人々を訪ね回って福音を伝えた。
8章終わり ・・・9章へ続く