ハイチ こんにちは!7章「降りそそぐ弾丸の中で」−終わり

ハイチ こんにちは!
著者 イ·ハンソル
初版2023年8月17日3刷2023年12月20日
夢も生活の場も失ったハイチの人々に愛と希望を植え付けたイ·ハンソルの物語

写真  困難の中でも明るく幸せに過ごしていた妻が、ギャングの銃撃事件の後、笑いを失った。

パニック障害

安心はした。その日から妻は小さい声にもびっくりした。

当時、首都教会で礼拝堂の補修工事をしていたんだけど、小さな釘の音や石ころが落ちる音にも、妻はすごく驚いて胸を掴んで苦しんだ。結婚して10年間一度も見たことがない姿だった。ある日は呼吸すら手に余ったし、ある日は不安な気持ちが大きすぎて一歩も動けなかった。パニック障害の初期症状だった。苦しんでいる妻のそばで、私はできることがなかった。

全てが終わりのようだった。

宣教の間、妻にも何度も節目があったけど、妻はいつも明るくて前向きだった。時には私に心強い支えと涼しい日陰になってくれたりもした。食べて生きるのも簡単じゃなかったけど、一度も私に韓国に帰ろうって言ったことがなかった。むしろ私たち夫婦がこんな貴重なことをすることになって感謝すると言って、時には疲れた私にまた立ち上がる力を与えた。

ある日、妻は無銭伝道旅行について行きたいと言った。私は毎年兄弟たちと一緒に無銭伝道旅行に行った。一日中歩く時もあって飢えることも何度もあったけど、神様はいつも助ける人に会わせて、帰ってくる時には辛かった記憶は消えて無くなった。

「あなた、次の無銭伝道旅行は私も行くよ。」

妻はいつも私と一緒に行きたがっていたけど、現実的には簡単じゃない。まだ幼い子供たちがいて、彼らを置いて一週間の伝道旅行に行くというのが難しそうだった。

「あなた、今度の無銭伝道旅行は私も行くよ。」

私はどこでも寝ても問題にならないけど、妻を連れて行くのは負担だった。

「末っ子はまだ乳も離さないのにどうやって行くの?赤ちゃんを背負って一日中歩くのは難しいと思うよ。寝る場所を探せなければ、道で寝ることもできるのに、危ないかもしれない。」

私も思わず難しい話を並べた。

「今まであなたが行くたびに神様が助けてくれたじゃない。赤ちゃんを連れて行くのは何の問題にもならない。私もあれこれの状況を考えると行けない理由だけ多くなる。辛くても一緒に行きたい」

妻は断固だった。それで初めて妻と末っ子を連れてオカイから5時間離れた都市に無銭伝道旅行に行った。

炎天下で子供を交互に背負って歩いた。妻は足が痛かったけど、表現しなかった。そうやって通いながら、家ごとに福音を伝えた。私がしばらく話していたら、子供を背負った妻もいつの間にかおばさんたちに福音を伝えていた。住民たちは私たちみたいな人たちを初めて見たと言った。

「まったく、縁故者もいないここに福音を伝えようと子供を、連れて来たんですか?」

どこへ行っても村の住民たちが私たちを歓迎した。妻は一日中歩きながら福音を伝えることが限りなく幸せだった。

「寝る所はありますか?それとも寝所はありますか?よかったら私の家で過ごせばいいです」

昼に福音を聞いたおばさんが、夕方にも福音を伝えている私たちを見つけて話した。どれだけありがたいか。おばさんの家に着いてみたら、私たちが寝る部屋をすでに用意しておいた。子供が蚊に刺されてはいけないと蚊帳を張っておいて、赤ちゃんのお母さんはちゃんと食べなければならないと言っておいしい食事を用意しておいた。そして一日中外でどれだけ大変だったかと言って、お湯を温めてお湯で洗えるように準備してくださった。神様は私たちの家族が福音を伝えるのに足りないように細かく調べた。一週間、私たちは本当に多くの家を訪れて福音を伝え、多くの方々が救われた。家に帰ると、妻がジョヨンヒと私の手を握った。

「あなた、人々は知らないだろう。私たちがどれだけ幸せか。」

その翌年も妻は教会の姉妹たちと一緒に再び無銭伝道旅行に行った。

難しいけど、そんなに幸せで明るかった妻が音もなく苦しんでいる姿を見るのは耐え難かった。いっそ私にそんな症状ができたら・・・明るい妻に二度と会えないかもしれないという考えで絶望的だった。妻が私にあなたのせいだと叫んで、恨んでくれれば心の中だけでも軽くなりそうだけど、妻は何も言わなかった。

私たちが面倒を見てあげた妻を母のように従うハイチの子供たちが多かった。その全てがもう終わりのようだった。妻の耳から毎日鳴る銃声は妻の症状を急速に悪化させた。妻の笑顔をもう見れなさそうだった。

アメリカに出かけた。私たち夫婦のパスポートの有効期限が切れて、ハイチには韓国大使館がないので、アメリカのアトランタでパスポートを更新することにした。私たちは担架に乗せられる軍人のように重い気持ちで飛行機に身を乗せた。パスポートの更新が目的だったけど、もしかしたらハイチにもう戻れないかもしれないと思った。一度もハイチを離れるなんて考えたことなかったのに・・・この上なく美しかった空が曇ってだけ見えて、さよならも言えなかった兄弟姉妹たちと、私たちを父のように従っていたドリーム代案学校の生徒たちの顔が一つ一つ通り過ぎるたびに心が引き裂かれるようだった。

アトランタ

アトランタは平和な都市だった。アメリカといっても全ての都市が治安が良いわけではないけど、アトランタは数えるほど治安が良い都市だった。平和な都市で銃声を聞くことはなかった。でも妻の症状は少しも良くならなかった。不安は予告なくやってきたし、その度に妻は息を吐きながらドキドキする胸を掴んで大変だった。そういう時は、妻の目に必ず覆面を被ったまま、私たちに向かって銃口を向けていたギャングの姿が四方から見えて、極度に緊張したまま車の中に閉じ込められていたその日の中に音もなく吸い込まれていった。全身がすごく緊張したまま、汗だくの妻を抱いて、私は何もできなかった。

痛い日差しで肌が焼けるように、私の心が痛くて痛かった。きれいな息を吸って落ち着こうと努力する妻を見て、私の心は引き裂かれて引き裂かれてボロボロになった裾のように何の力もなかった。妻が見ないところでこっそり涙を盗んで、妻を見る時は一生懸命笑って大丈夫なふりをして妻の手を握っているのが私ができる全てだった。

3週間後。韓国にいたバー・マーサさんがアップル・グァンタで持つ集画を案内するために訪問した。久しぶりに会った牧師さんに、妻はもどかしくて、これまであったことと自分に現れるパニック障害の症状についてこれを引き起こした。牧師は聖書を開いた。

「神様の人たちは命の包みの中にいるから、弾丸や病気が殺すのではなく、神様が許してこそ死ぬのだ。絶対に弾丸があなたを害にできない。全ては神様の手にかかっているの。神様が時々私たちの人生に困難を許してくれるけど、それは私たちを苦しめようとするのではなく、私たちに大きな祝福を与える前に試練に遭わされるのよ。だから、真の神の人たちは、困難に出会う時、困難の中に陥るのではなく、その困難の向こうにある祝福を見つめながら、いつも喜ぶことができるのだ」

不思議なことが起きた。牧師さんに会って出てきた妻の顔に、これまで色濃く染み付いていた暗い影がどこにもなかった。これまで私たちに銃口を向けていたギャングの姿が見えたが、意図して私たちを殺そうとしていたギャングと弾丸の中で私たちを守った神様が妻の心から見え始めた。まるで種が芽を生えて育つように、ああ、私の心から神様が育ち始めた。聖書の中の全ての人物がそうだったように、私たちにも試練の後に神様の祝福が用意されていることを見つめると、望みが満ち始めた。妻の顔はいつの間にかまぶしくすごく明るくなっていた。

世界で一番幸せな妻

その週にアトランタ教会でささげた主日午前の礼拝の時、妻は証したいと言って壇に上がった。そして人々に自分を紹介した。

「皆さん、こんにちは。ありがとうございます。私は世界で一番幸せなハイチの宣教師の妻イ・イルヨンです。

一瞬涙がピクピクした。死ぬほど怖かったその日の出来事と、息がしなくて息苦しい胸を握りしめて苦しんでいた日々を人前で初めて淡々と話した。そして私たちを守りた神様に栄光を帰した。一日も早くハイチに戻って、相変わらず貧困と死の影の下で苦しんでいるハイチの人たちにまた福音を伝えたいと言った。妻の証を聞きながら、私は音もなく泣いた。その日から妻は誰に会っても自分を「世界で一番幸せなハイチの妻」と紹介した。その言葉のように妻の顔は平和で生き生きとした。

アトランタにいる間、たまたまその都市で一番大きいハイチ教会であるハイチ善きサマリア教会」の担任牧師のブレイブ牧師に会った。彼は私たちの証を聞いて大きく感銘を受けた。自分は6週間ごとに聖徒十数人と一緒にハイチに行ってボランティアもして伝道もしてきたけど、治安が極度に悪くなってしばらく行けずにいるって言ってた。

写真 上)アトランタにある「ハイチ善きサマリア教会」で証するイ・ハンソル宣教師
下)担任牧師のブレイブ牧師夫妻、笑いがまた訪れた妻と一緒に

牧師は「どうやってその危険なことを経験しても、またハイチに戻る覚悟をしますか?あなたが私よりましで、あなたが本当の宣教師です」と言い、ハイチの人たちもできないことを外国人宣教師がやっていると、両手で私の手をぎゅっと握って、ずっとありがとうと挨拶した。そして主日に自分が導く教会で必ず証してほしいと言われた。

その週の日曜日、「ハイチの善きサマリア教会」で現地語のクレオル語で私が証した。ハイチの人たち数百人が起きて拍手をして私たち夫婦を温かく迎えたし、私たちが多くの困難の中にも相変わらず福音を伝えているというニュースに、彼らは自分たちがそんなことに遭ったように延々と涙をふいて感激した。証を終えて講壇から降りてくるのに、聖徒たちが私たちの前に並んだ。

「私たちがやるべきことを宣教師様がやっておられますね。ありがとう!本当にありがとうございます!」

「ハイチにいる家族の思いで眠れませんでした。ところが、宣教師の証を聞きながらハイチを愛する神様の心を感じました。宣教師を守ってくださった神様がうちの家族も守ってくれると信じています。ありがとうございます!」

彼らは目を赤くして、私たち夫婦をぎゅっと抱きしめてくれた。私たちが経験した試練が、より多くのハイチの人々に慰めと神の心を伝える道具に変わっていた。私は神様がもっと多くのハイチ人に福音を伝えさせようと、私たち夫婦にその仕事を許されたことを知った。私たち夫婦がそんなことを経験しても、相変わらずハイチで宣教するということ自体だけでも、ハイチの人たちが私たち夫婦に心を大きく開いた。ブレイブ牧師は数日ぶりに私たち夫婦ととても親しくなり、今までも親友の一人になった。

しばらくして私たちはハイチに戻り、治安はさらに良くなかったが、妻から不安症状は再び現れなかった。

私たちの生活に困難は、まだ準備ができていない状態で予告なく訪れてくる。その時、サタンは問題だけを見つめさせて、道がないように騙した

深く深い絶望に陥って、結局足を踏み出せないようにする。でも、神様の人は私たちの目を回して神様を見つめさせる。うちの夫婦も大きな困難を経験したけど、パク牧師の導きで神様を見つめることができた。もう私たち夫婦にその日の覆面をかぶったギャングはこれ以上影響を及ぼさない。むしろ彼らのおかげで、より多くの人々に福音を伝える道が開かれた。降りそそぐ弾丸の中でも、私たちを守ってくださった神様がもっと鮮明になった。

7章終わり ・・・8章へ続く

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