ハイチ こんにちは!6章 「テモテ、そしてコンサート」その1

ハイチ こんにちは!
著者 イ·ハンソル
初版2023年8月17日3刷2023年12月20日
夢も生活の場も失ったハイチの人々に愛と希望を植え付けたイ·ハンソルの物語

イ·ハンソル宣教師夫婦

ハイチへ行くイ·ハンソル宣教師夫婦

オカイ教会のある聖徒の家で家族礼拝を捧げた後

こんにちはオカイ

2017年、私たち夫婦は首都から車で4〜5時間ほど離れたハイチの南西の都市オカイに教会を開拓した。オカイは人口80万人が住むハイチで3番目に大きい都市だが、ほとんどの人が農業に従事して週に1日開かれる在来市場で買い物をしなければならない田舎だった。「オカイ」は「家へ」という意味だ。地方だから首都より環境が劣悪で教育水準もずいぶん及ばなかったが、終日忙しく働いて仕事を終えて家に帰る途中で温かい食事を準備する妻と「お父さん来た!」走ってくる子供たちを思い浮かべると元気が出るように、オカイの人たちは心が余裕で純粋だった。私はちょうど平和な韓国の田舎村に来たようだった。

その頃ハイチ新聞に一日最低賃金を350グールドに引き上げるという記事が載せられた。当時の為替レート基準で6千ウォン程度だった。 1日8時間働くと思った時、時給750ウォン程度を受けるわけだった。だが最低賃金を守る職場は多くなかった。ある家で家政婦として働く姉妹は月曜日から土曜日まで終日働いて月給で4万ウォンを受けた。そのお金で子どもたちまで育てるにはあまり多くなく足りなかったが、そんな場所も手に入りにくく、競争が非常に熾烈なのに自分は運が良いと言った。 1ドルのために人を殺すこともあると言うので、状況がどれほど劣悪なのかをさらに説明する必要はないようだ。

伝道に行くと、ブリキ屋根が全部広がり、雨や水玉がそのまま降り注ぐ家が多かった。私たちが訪れると、人々はすべてのことを下に置き、みことばを聞き、私は時間が経つことを知らずに福音を伝えました。いつの間にか時間が流れ、シャツは汗で濡れた。だが、誰かが福音を聞いて喜ぶ姿を見るときには、世の中を全部つかんでいるように幸せだった。伝道を終えて家に帰ろうと挨拶すれば、がんこに大丈夫という私たち夫婦に食事を準備してくれ、水でも買って飲んでと手にたっぷり握った25グールド紙幣を手に握ったりもした。そんな時は喉が詰まってご飯が進まずに、まったく喉を縮めることができなかった。彼らが負担している人生の重さは私が推測すらしにくいほど重かったが、彼らはむしろ私たちの家族がより長く歩くことができるように私の荷物を取り除こうとした。ここまで来て福音を伝えてくださってありがとうございます。私は今日が忘れられないでしょう」

ありがとうと言わなければならない人は別にいるけど、挨拶はいつも私が受けた。日当6千ウォンで一日一日を苦労しながらも、私たちの手を握って起こしてくれる彼らが山のように感じられた。告白するけど、私はハイチで与えるるよりもらうことが多かった。

傷でいっぱいのハイチの子供たち

ある母親が娘を連れて訪ねてきた。夫と死別して一人だけの娘に心を注いで暮らしているのに、子供がたくさん彷徨うって言ってた。その方は病院の看護師で、病院が家から遠くて、週に4日は家にいなかった。いつも家に一人残されていた子は、ある日からてんかんをしてうつ病を患い始め、2回もナイフで手首を切ったまま発見された。だらりと垂れた娘を見たお母さんの心は切なく崩れ落ちた。娘のために大変なことに耐えていたけど、その日以降、自分の人生も崩れそうで怖かった。そうやって過ごして救われて、娘が教会に行ったら変わるという気持ちになった。

「宣教師様、私の娘が教会に住んでもいいですか?」てんかんは随時面倒を見なければならないし、うつ病はもう古いから、迷いがなかったと言えば嘘だろう。私は首を回して子供を見つめた。思春期のやつは、大きな過ちでもしたみたいに片方から頭を下げたまま言葉がなかった。ふと私の過去が思い浮かんだ。そういえば、私にもそんな時代があったんじゃないかな。荒くて荒い波みたいで、みんなは私を避けて背を向けた瞬間が。手当たり次第に全てをさらった瞬間が。思わず姉妹に何も心配しないように話した。この子はとてもいい子に育つから、心配しないで送ってくださいって言ってた。

子供の表情が明るくなるのが感じられた。私が宣教師としているまで、どれだけ多くの人の犠牲と待ちがあったのか。私は子供を見つめながら、後に子供が成長して頭が白くなったお母さんに自分を産んで育ててくれて本当に感謝していると言って、お母さんの懐に抱かれる姿を描いてみた。愛する男と挨拶しに来て、「お母さんがいなかったら今の私もいなかったでしょう」と言いお母さんに彼氏を紹介する姿を、そんな娘をぎゅっと抱きしめて「あなたじゃなかったらお母さんはここまで来れなかっただろう」って話す母娘の温かい出会いを描いてみた。頭を下げている子からそんな姿が見えた。そうやってその子と私たちの同行が始まった。

私たちと一緒に暮らしながらも言葉がなかったやつは、ある日てんかんで倒れた。妻は看護師の子供のお母さんと通話しながら一晩中子供を看護したし、幸いやつは翌日少しずつ元気になった。お母さん以外の人の看護を受けるのが慣れていなかったのか、あいつは急に悲しそうに泣き出した。そして初めて苦労して、誰にも打ち明けられなかった自分の話を持ち出した。

お母さんが家にいないから一人でいる日が多かったけど、ある日訪ねてきた親戚に性的暴行を受けたって言ってた。恥ずかしくて怖かったけど、まだ幼かった子は誰にもその話ができなかった。何よりも自分だけを見つめているお母さんが崩れると思うと、苦労してその日のことを胸に埋めることにした。

問題はその日から始まった。お母さんがいない日は身震いして不安で、一人で門をロックしたまま部屋の中で息を殺して泣く日が多くなった。傷は癒えなかったし、うつ病が訪れた。「ただ私一人だけ消えれば、すべての苦しみが終わるよ」と思った子はナイフで手の首を引いた。ちょうど家に着いたお母さんじゃなかったら命を落としただろうけど、悲しむお母さんを見ながらも子供はその話ができなかった比較的のんびり暮らしたけど、自分が世界で一番不幸だという考えは絶えなかった。

毎日自分を見て涙を流しながら残念に思うお母さんの顔を見るのも辛かったけど、お母さんが救われて変わった。子供はそんなお母さんの変化が気になった。そして自分の話を苦労して持ち出したその日、福音を心に受け入れた。やつはすぐに笑いを取り戻した。

さっそく言葉がどれだけ多かったか、今までしっかり隠しておいた宝物を解き明かしたりもしたみたいに、あいつの変化は私たちに大きな喜びをもたらしてくれた。見間違えるほど変わった娘に出会った母は、私の妻の手を握って感謝しながら涙を流した。

その日からうちの家に問題がある子供たちが先を争って訪ねてきた。いつの間にか家には20人余りの子供たちで賑やかだった。一様にこの傷を持った子供たちだったけど、私はその子供たちが10年後か20年後に自分のように傷ついた子供たちを慰めて、彼らに希望を与えそうだった。人々は皆私に「何のために問題児を預かって暮らして苦労するんですか?」って聞いたけど、私はその子供たちが問題に見えなかった。

・・・続く

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