ハイチ、こんにちは!2章 新しいスタートラインでー続きその2
ハイチ こんにちは!
著者 イ·ハンソル
初版 2023年8月17日 3刷 2023年12月20日
夢も生活の場も失ったハイチの人々に
愛と希望を植え付けたイ·ハンソルの物語
信仰の良い人たちを見て、イエス様が彼らの人生の中でのみ働いた何人かの人々のために戻ったのではなく、すべての人のために戻り、そのすべての人の中に私が含まれていました。私のような人の中にも生きておられるイエス様を初めて眺めるようになったその日、まったく終わらないようだった真っ暗なトンネルの中で一筋の光に出会ったようだった。その日以後、私の人生は一気に変わった。 「世の中で私のような人の中にもイエス様がいらっしゃるなんて!」
私はいつも自分の姿を見て、私の姿を変えようとした。そうすることができず、いつも失望し絶望した。聖書にイエス様がおっしゃられたように、たとえ話が出てくる。主人が良い種を植えたが、ある日その畑に敵が毒麦を植えた。ある日しもべが立ち上がってみると畑に毒麦が育っていた。彼らが主人を訪ねた。
「ご主人様、畑に毒麦が育ってますよ!」
主人が言った。
「敵はそうしました」
敵が毒麦を振り撒いたという事実を知らなかったしもべたちが話をした。
「ご主人様、私たちはその毒麦を引き抜きますか?」 主人の答えが意外だ。
「じっとしていなさい」
敵が植えられたという事実を知りながらも、主人は毒麦を抜かないでじっとしていなさいと言った。毒麦を抜いて麦が引き抜かれるか心配したからだ。
しもべたちは毒麦を見て、主人は麦を見た。敵の目的は、毒麦が成長することではありませんでした。毒麦を抜かせて穀物を傷つけることが本当の目的だった。
私は長い間私の人生から毒麦を引っ張ろうとしていました。だがいくら抜いて抜いても毒麦は成長した。結局「私はやってもできないんだ」と深い絶望に陥って信仰も神様も捨てた。
私は毒麦のない人になりたかったのですが、聖書は毒麦を問わない。それよりも力強いイエス様が私たちの麦であるからです。麦の能力を信じられない人は、毒麦が成長するのを見るたびに苦しみを経験する。 「昨日全部抜いたようですがまた育ちました。」私の心がそうでした。明らかに良い日もありましたが、寝て起きたら、毒麦が再び成長していました。私はそれが私が信仰生活をすることができない理由だと思いました。私には、毒麦を抜く力がもう残っていなかったからだ。結局私は信仰をあきらめた。
私は信仰を誤解した。毒麦を抜いて取り除くのが変化だと思った。ところが、パク牧師は私のために亡くなったイエス様、みすぼらしい私の中に生きておられるイエス様を眺めておられた。私はそのようなものを取り除くのは信仰ではなく、毒麦があっても麦を眺めることが信仰であることがわかった。変化は毒麦があって、無くそうとするのではなく、麦に向かって行くことだった。わたしの信仰観ががらっと変わった。
「私のような人の中にもイエス様がいます!」
イエス様と一緒にいれば、誰も知ってくれなくても、そんなふうに一生暮らすことができるようだった。私はまだスタートラインにいましたが、先に走っている人はもう見えませんでした。私の隣で私の手を握って立っていたイエス様が見えました。私は罪から、そしてみすぼらしい私の人生から救くわれた。イエス様が私を導き始めました。
その年、私は神学校を卒業しました。そして結婚した。妻は私の壊れたものを覆う賢明で暖かい女性でした。私がどれほどみすぼらしく生きてきたのか知っていたが、気にしなかったし、これからの人生を応援してくれた。
ー参考ー(新改約聖書から)
マタイの福音書 13章24~30節
24 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。
25 ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。
26 麦が芽ばえ、やがて実ったとき、毒麦も現れた。
27 それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』
28. 主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』
29 だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。
30 だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」